中綱組について
About us
大地に根ざしたふるさとづくり
株式会社 中綱組は、1935年(昭和10年)創業の地域の総合建設会社です。
経営理念の「大地に根ざしたふるさとづくり」には、ものづくりを通してふるさとに深く根ざし、
人と地域に脈々と貢献し続ける思いが込められています。
代表メッセージ
CEO`s Message
私たちが生きる令和は、限られた資源を大事に活かし、人と環境の調和を求める時代であると思います。
当社は、「本質を見極め、本物を創る インフラの町医者」を志(こころざし)に、インフラ(建設物等)の建設からメンテナンス(点検・診断、対策工事等の提案・施工)までの技術を提供致します。
特に、予防保全に帰する長寿命化技術にいては、経験と実績を踏まえ環境に適する工法を各種ご提案申し上げますので、お問い合わせ頂ければ幸いです。
また、人財育成では〝企業は人なり〟の思いから、橋守精神を受け継ぎ、ひとりひとりが愛情と責任感のあるインフラの町医者を目指して参ります。
株式会社中綱組は、創業時の心意気を継承し、お客様に寄り添うオンリーワン企業として、「インフラの健康寿命100年」を守り支え続けます。
今後ともご支援ご鞭撻を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
中綱組のはじまり
Beginning
中野渡 綱吉なかのわたり つなきち
社名は、初代創業者である中野渡 綱吉の名前から「中」と「綱」の字を取り「中綱組」と命名しました。
中野渡 綱吉は、明治42年9月10日十和田市矢神の農家の三男として生まれ、地元の小学校を卒業すると農業に従事しました。
その後、土木建設の人夫として働いたのがこの仕事の始まりでしたが、間もなく信用を得て個人創業(昭和10年4月1日)を果たします。
また、戦時下には、県の請負業者として事業を広め、戦後は国営開墾事業や復興事業にも努力し、多くの公共施設を優秀な技術をもって建設にあたりました。
株式会社中綱組を一氏で築いた苦労人だけに、従業員に対する理解も深く円満な経営に努め、今日の基礎を築くことができました。綱吉は、踊りや太鼓の芸能(写真の様子)をはじめ、釣りや鉄砲(狩り)などの特技を持ち、多種多芸に秀で、小柄でありながら芯が強く、快活な人物でした。
- 主な役職(当時)
- 上北地方製材業協同組合副理事長 / 奥入瀬漁業協同組合組合長 / 県南土地改良協会監事 など
橋守からインフラの町医者へ
Hashimori to Infra GP
橋守の精神を受け継ぎ、インフラの町医者で未来を創造する
平安時代の初期(西暦900年頃)、流れが急な宇治川に架かる橋を守る番人として橋守(はしもり)が登場します。
橋守は、橋を我が子や我が家のように思い、長年、愛着を持って橋の面倒を見ていました。橋をどのように守ればよいか一番熟知していたのです。
私たち中綱組は、橋を始めとする地域のインフラを橋守の精神と同じ思いで臨み、インフラの町医者として、我が家である地域の未来を支え守り続けます。
橋守の登場(起源)
西暦900年ごろに詠われた橋守
ちはやふる 宇治の橋守 なれをしそ
あはれとは思ふ 年のへぬれは
橋守庵での勉強会
橋守は、子育てに似ている。 地元に架かる橋を自分の子と思い、どうしたらその橋が天寿を全うするかを考えることから始まる。義務感だけでは、橋守とは言えない。 自分の愛用品、或いは我が子である橋の、健康寿命をいかに伸ばすかが重要である。
キーワード
「予防保全による長寿命化」
「地域の橋は、地域の橋守が守る」
「橋を知り尽くす。質を高める。」